いだてん

【いだてん】星野源さん演じる「平沢和重」という人【東京五輪スピーチ】

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「いだてん~東京オリムピック噺~」は、2019年のNHK大河ドラマで、現在放送中です。

その「いだてん」で鍵になる人物、星野源さん演じる平沢和重さんについてまとめます。

  • 基本的なプロフィール
  • 嘉納治五郎との関係
  • 実は東京五輪反対派だった!
  • スピーチの鍵は「15分」と「教科書」
  • マダムキラー?
  • 星野源さんの撮影エピソード
  • これまでに演じた俳優
  • 妻役と娘役は?
ネタバレ注意

大河ドラマは史実、事実に基づいて作られる作品のため、ネタバレという概念はありません。

とはいえ、予備知識がない状態で見たいという方がいらっしゃると思いますので、この先の展開や平沢さんの人となりを知らないままでいたい方はページを閉じることをおすすめします。

「いだてん~東京オリムピック噺~」概要

2019年1月6日から毎週日曜日に放送されているNHKの大河ドラマが「いだてん~東京オリムピック噺~」です。

日本人で初めてオリンピックに出場した金栗四三、日本で初めて開催されたオリンピック、1964年東京五輪誘致に奔走した田畑政治がW主演、それぞれ、中村勘九郎さん、阿部サダヲさんが演じています。

脚本は星野源さんファンにはおなじみの宮藤官九郎さんです。

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【星野源さん出演・平沢和重役】NHK大河ドラマ2019年「いだてん~東京オリムピック噺~」情報(6月30日更新)星野源さんが平沢和重役で出演するNHK大河ドラマ「いだてん」についてまとめました。あらすじ、スタッフ、出演者、平沢和重さんがどんな人なのか、星野源さんと1964年の関わりなど。...
いだてん 前編 NHK大河ドラマ・ガイド
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↑星野源さんは半ページ掲載

いだてん 後編 NHK大河ドラマガイド
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↑星野源さんは未掲載

いだてん 完結編
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↑インタビュー掲載

平沢和重さんの基本的なプロフィール

平沢和重(ひらさわ・かずしげ)

1909年(明治42年)9月14日-1977年(昭和52年)3月7日

一部では香川県丸亀市生まれ、とされていますが、実際は岩手県の生まれ

(平沢さんご本人のインタビュー記事に掲載されているプロフィールの出生地が岩手県になっているため。秋田県に隣接する和賀郡西和賀町にルーツがあるようです。丸亀市にいたことも確かなようです)

1935年(昭和10年)東京帝国大学(現・東京大学)法学部を卒業後、昭和11年アメリカのベイツ大学に入学、卒業。

その後、外務省に入省、駐米日本大使秘書官、ニューヨーク領事などを経て1946年(昭和21年)に退官。

退官後はジャーナリストとして1949年(昭和24年)から26年間、NHKの解説委員を務めていました。

英字新聞であるジャパン・タイムスの編集主幹、産経新聞の論説顧問でもあったようです。

1959年度(昭和34年度)のNHK放送文化大賞を受賞。

楽しみはゴルフとお酒。

ご家族は夫人(朝子さん・1919年(大正8年)頃の生まれ)と一女(洋子さん?)の3人家族で、娘さんが重要人物になります。

朝子さんに関してはお名前が判明していますが、洋子さんに関しては以前映像化された際に出てきたお名前で、ご本人がこのお名前かどうかの確証が得られませんでした。

  • 生まれ
    1909年(明治42年)9月14日

    岩手県生まれ

    (和賀郡西和賀町?)

  • 大学
    1935年(昭和10年)

    東京帝国大学(現・東京大学)卒業

  • アメリカ留学
    1936年(昭和11年)

    アメリカ・ベイツ大学留学

    4年間学ぶ

  • 嘉納治五郎との出会い
    1938年(昭和13年)4月

    バンクーバー(カナダ)から横浜に向かう氷川丸の船上で嘉納治五郎と出会い、親交を深める

  • 嘉納治五郎との別れ
    1938年(昭和13年)5月4日

    急病に倒れた嘉納を船上で看取る

  • 外務省
    1940年(昭和15年)頃

    外務省に入省し、外交官に

    駐米大使秘書、ニューヨーク領事を歴任

  • 帰国
    1942年(昭和17年)

    第一次交換船で帰国する

  • ジャーナリスト転向後
    1949年(昭和24年)

    NHK解説委員に就任(26年間)

  • ジャーナリスト転向後
    1956年(昭和31年)

    ジャパン・タイムス主幹

  • スピーチ
    1959年(昭和34年)

    IOC総会で東京五輪招致・誘致最終プレゼンテーションにてスピーチの大役を担う

    この年度のNHK放送文化大賞を受賞

  • 亡くなる
    1977年(昭和52年)3月7日

    67歳



平沢和重さんの写真はどれが本物?

「平沢和重」と画像検索をしても、本当にこの写真の方なの?というものが多く、確証が持てずにいました。

1959年度のNHK放送文化大賞を受賞ということで、そこから辿った結果、NHKサイトのpdfに写真が掲載されていました。

放送文化賞 | NHK

このpdfの顔写真上から二段目の真ん中が平沢さんです。

「いだてん」人物紹介にある「シブい」雰囲気がうかがえます。

一部、星野源さんと平沢和重さんが似ている、という話もあがっているようですが、私個人の感想では、特に似てはいないかな、と思います。

嘉納治五郎と平沢和重の関係

スポーツの重要性を日本に広め、更に日本でのスポーツを世界に広めた、日本スポーツ界を語るに辺り、欠かせない人物、それが嘉納治五郎さん(演・役所広司さん)です。

(以下、嘉納先生と呼びます)

「いだてん」には初回から出っぱなし、第三の主人公とも呼ばれていた時期があるほどとにかくすごい方です。

嘉納先生抜きにして、主人公・金栗のお話を作っていくことはできないからです。

国際的にも活動していたIOC委員の嘉納先生と、当時ベイツ大学の学生だった当時28歳だった平沢さんは、カナダ・バンクーバーから横浜に向かう氷川丸に乗船していました。

ふたりは船上で親交を深めていましたが、嘉納先生が急病に倒れ、帰らぬ人となってしまいました。

その時、嘉納先生の最期を看取ったのがまさしく平沢さんであり、この経験が後の1964年の東京五輪招致スピーチ、誘致成功へと繋がります。

しかし!

1964年の東京五輪誘致に反対していた平沢和重

平沢さんは、外交官としての経験から、「時期尚早」として、1964年の東京五輪誘致に難色を示していたそうです。

IOC委員であった嘉納先生と親交を深め、最期を看取ったにも関わらず、どうして反対していたのか。

それは、感情に流されず、俯瞰でものを見る論理的な人だったから、ではないでしょうか。

1945年に終わった、第二次世界大戦。

東京五輪の誘致、招致に向けた動きはその約10年後に始まっており、その頃はまだまだ復興途上にあり、仮設住宅のようなところに住んでいた人も多くいたそうです。

この点は、東日本大震災から復興途上でありながら2020年東京五輪の誘致・招致をしていたのと大変似ていることからも、現代を生きる人達にも容易に想像できる状況であったことは間違いないと考えられます。

実際、この記事を書いている2019年、東日本大震災の発生から8年が経過していますが、被災地の復興は途上です。

以上のことも相まって、平沢さんは「時期尚早」としていたようです。

1964年の五輪を誘致していたのはデトロイト(アメリカ)、ウィーン(オーストリア)、ブリュッセル(ベルギー)の大都市。

五輪未開催のアジアの国であり、戦争の傷跡が残り、お金の問題が大きくのしかかっていた日本。

いろんな意味で、この3都市と争うのは大変厳しいものでした。

感情的にではなく、論理的にものを見ている平沢さんが、NHKの番組で東京五輪誘致の反対を解説するのは当然の流れでしょう。



反対派から最終スピーチ役に

1959年5月、ミュンヘン(ドイツ)で開かれたIOC総会。

平沢さんはこの総会に出席してスピーチを行い、見事東京五輪誘致の成功の一端を担ったわけですが、反対派であった平沢さんがなぜスピーチを行ったのか。

それは、平沢さんの友人である外交参事官の北原秀雄さんが大けがをして、スピーチできなくなってしまったからです。

怪我をする様子は「いだてん」の初回でばっちり放送されていました。

北原さんや東龍太郎東京都知事(演・松重豊さん)に最終プレゼンテーションでのスピーチ代役として熱心に口説かれ、反対派から宗旨替えをして、代役を引き受けました。

総会は目の前に迫っており、既に北原さんが読むためのスピーチ文が出来上がっていました。

しかし、それを呼んでも平沢さんはなんだかしっくりきませんでした。

既にNHK解説委員としてテレビで解説を行っていたこと、その内容が的確でお茶の間に外交を届けるわかりやすい内容であったことなどから、平沢さんは「伝える」ことにおいて「プロ」であったことがよくわかります。

恐らく、北原さんはそのような人物ではなかったでしょうから、それは致し方のないことだと思います。

スピーチの鍵は「15分」と「教科書」

平沢さんの娘さん、洋子さん(名前は違うかもしれません・前述)にオリンピックの仕事をする、と伝えたところ、洋子さんがオリンピックについての言葉を暗唱します。

それは、洋子さんが小学校6年生の時に学んだ教科書に書かれいたオリンピックに関する文章でした。

暗唱を聞いた平沢さんは洋子さんが保管していた教科書を見て、そこからインスパイアを受けたようです。

「いだてん」1話で、平沢さんが実際にその教科書を用いてスピーチしていたこと、そこにかぶせるように小学生が教室で読んでいるところからも、明らかです。

平沢さんは北原さんに許可を取った上で、スピーチ文を書き直します。

さて、「15分」について。

元々各国45分程の最終スピーチの時間が設けられていたようです。

それを平沢さんは15分で終えてしまいます。

日本の前が1時間以上スピーチを行い(デトロイト)、参加していたIOC委員も相当疲れていたようです。

そんな中、「嘉納治五郎の最期を看取った人物」として会場をざわつかせた平沢さんは、簡潔に15分でスピーチを行い、委員の心を鷲掴みにしました。

スピーチの中には、教科書だけではなく嘉納イズムも織り込まれていました。

嘉納先生の時代は、日本は欧米諸国から見れば「極東」でした。

時が流れ、この頃には飛行機が盛んに飛び「東」ではあるものの「極東」とは言えない時代になっていたのです。

しかし、日本(アジア)と欧米では心の距離は長く、遠く、相互理解をするために、世界平和のために、と平沢さんは訴えたのです。

手短に、かつわかりやすく、論理的な平沢さんが感情面にも訴えるようなスピーチを行い、見事招致に成功しました。



平沢和重は実際にマダムキラーだった

星野源さん演じる平沢和重さんの「いだてん」の人物紹介に、

マダムキラー

というワードがあります。

星野源さんの「いだてん」出演は2018年12月に発表されており、その発表会見の時に「マダムキラーだという設定は知らなかった」旨の発言をされています。

オールバックで、昔ながらの眼鏡を持っている平沢さんは、星野さんの「Snow Men」のMVを思い出させ、ファンは

「うんうん、わかるわかる」

となっていました。

実際の平沢さんはどうなのか、調べるとでてきました。

実際にマダムキラーだったようです!

奥様である朝子さんが語る平沢さんのエピソードの中に「チャーミング」という言葉が出てきていたので、チャーミングな人物だったのは確かでした。

淡きデートの記録 | 民間の外交官、吠える。

でも、それだけじゃ確証が持てなかったので、マダムキラーだと確証が持てて良かったです。

「胸ポケットのハンカチの向きが違うのは、何か理由があるのでしょうか」

このようなご婦人からのファンレターがよく届いていたようです。

1950年代頃にもそういうの、あったんですね。

今じゃSNSでよく見かけるような小さな発見を指摘するご婦人キラー……恐るべし!

黒澤明監督から映画のオファーがきたり、平沢さんご自身がテレビに映る自分を気に入っていた、なんてエピソードもあります。

米国ベイツ大学 平沢記念基金

「米国ベイツ大学 平沢記念基金」というものがあります。

(平沢和重奨学基金 ベイツ大学、とも)

アメリカ、ベイツ大学で学びたいという学生を募集し、各年1人ずつ奨学金を出しているようです。

星野源さんの撮影エピソードと今後の出演予想

スピーチ全文をセリフとして話したとのこと

星野さんは、「知れば知るほど素敵な人物」というようなことをおっしゃっています。

私自身ここまでまとめたり、いろいろなことを調べていくうちに、大変魅力的な人物だと改めて実感しています。

「いだてん」第一話で放送された平沢さんのスピーチはとても短い時間でしたが、実際の平沢さんがお話になった15分の英語によるスピーチ全文を丸暗記して撮影したようです。

このようなことは他の役者の方もやっていることですが、役者さんって本当に凄い……!

日本語はほとんど話しておらず、大半はこのスピーチ。

撮影は2019年6月の時点でこのシーンしか行われていないようなので、この後出てくるであろう撮影エピソードが楽しみです。

星野源さんの英語を話す役といえば、2015年に出演した「紅白がうまれた日」でのジョージ・馬淵役。

その時も素敵な英語を披露していて、今回もまたそのような英語を聞けてとても嬉しいです。

星野源さんの今後の出演予想

平沢さんは嘉納先生の最期を看取るので、そのシーンが本格的な出演スタートだと考えて良いでしょう。

当初、1話と6話に出演し、その後しばらく出演はないとのお話でしたが、編集の都合上か、6話の出演はありませんでした。

「いだてん」ムックの後編によると、少なくとも36話まで嘉納先生は存命であり、平沢さんとの出会いもないようです。

36話の放送は9月頃。

(7月に参院選があるため、放送予想ができません)

まだしばらく待つ必要がありそうです。



過去に平沢和重を演じた俳優

「東京にオリンピックを呼んだ男」では橋爪功さんが、「オリンピック招致にかけた男たち」では相島一之さんが演じました。

他にもあるかもしれませんが、現状把握しているのはこの2人です。

平沢和重夫人と娘役は誰?

平沢さんのスピーチは、娘さんの教科書の暗唱がきっかけのため、自宅でのシーンが出てくる可能性がとても高いです。

そうなると気になるのが、奥様である朝子さんと娘さんである洋子さん(洋子さんの名前は過去の作品から推測)を演じる女優さん。

2019年6月現在、不明です。

朝子さんは、日本とアメリカの関係が非常に悪化していた時にアメリカで出産し、現地の助産スタッフにとても良くしてもらい、人の命の誕生に、国の諍いは関係ないということに感激した、というようなエピソードがあります。

平沢さんの帰国は1942年なので、洋子さんはそれより前に生まれていることは確実、平沢さんがスピーチをした1959年の時点で17歳以上であることが推測されます。

また、洋子さんは1962年頃、アメリカに留学されていたようです。

朝子さん1919年頃の生まれなので1909年生まれの平沢さんより10歳くらい年下、そこから考えて星野さんよりいくらか年下の方、洋子さんは10代後半から20代前半の方が演じるのかな、と思います。

調べれば調べるほど魅力的な人物

星野さんもおっしゃっていましたが、私も調べれば調べるほど魅力的な人物だな、と感じています。

嘉納先生と一緒に船に乗っていた間、北原さんがけがをして以降の登場になるため、平沢さんの出演シーンは放送期間内では短い時間だと思います。

でも、大変魅力的であり「いだてん」には絶対に欠かせない超重要人物であるといえるでしょう。

マダムキラーでもあった平沢さん。

「いだてん」を今は見ていないという方も是非、登場してからでも良いので見てほしいです!

「いのちの車窓から」が連載再開になったら、「平沢和重という人」を読んでみたいです。

参照元

以下を参照し、参考に記事をまとめました。

「週刊文春」昭和37年3月26日号(本人インタビュー)

平沢和重 | Wikipedia

米国ベイツ大学・平沢記念基金

淡きデート | 民間の外交員、吠える。

BBT | 文化異文化

NHK 1964年 東京オリンピック | さくらのブログ

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