どうも、「星野源さんに一方通行」管理人の紺色です。
先日、どうしても引っかかった書き込みを見かけてしまったので、懲りずに物申す系記事を書こうと思います。
相変わらずくせが凄い記事ですので、閲覧は自己責任、ノータッチノーリアクションバックオーライ、クレームなしでお願いします。
目次
何かのファンあるあるなのかSNSあるあるなのか
人の上に立ちたい人
人間がここまで文化的に発達したのは、競争があったからでしょう。
競争が新しい発明やものを生み出し、今日に至っている訳です。
勿論、競争ではなく、ただ純粋に良いものを作りたい、生み出したいという気持ちで作られたものの方が多いとわかっていますが、競争も大きな要因のひとつです。
競争、つまり人の上に立つこと。
SNSが爆発的に流行するまで、我々一般人の競争と言えば、試験、大会、コンクール、コンテスト、会社での成績、こんなものでした。
SNSのせいで無駄な競争が増えた
しかし現在はSNSという、世界中の誰にでも見られるところで大きな発言をし、注目を浴びる、誰かの上に立つということが容易になりました。
ただ人の上に立ちたいという気持ちだけでいる分には良いのですが、誰かを蹴落として上に立ちたいという人は非常に厄介です。
上にあげた、試験や大会だけではなく、何故か普通のことに対しても、勝ち負けをつけて、人を傷つけながら「悔しかったら私にそれで勝てばいい」などと吹っ掛けてくる人がいます。
(いたんです、されたんです、別に競いたくないし競ってもいないんですけど!何を勘違いされたのか今でもよくわからないんですが、この人は誰に対してもそうだったので、そういう人なんだと思います。)
前述の通り、人の上に立ちたいと思うことは向上心に繋がり、良い成果をもたらすことがあります。
しかし、人を傷つけ、蹴落としてたかがSNSの頂点に立ったところで、付いてきた人と同時に反感を持つ人もそれなりに多くいるということは覚えておいた方がいいです。
何かのファンあるある?
さて、筆者が見かけた引っかかった書き込みというのは、以下のようなものでした.
ファンなら楽曲の感想をちゃんと書いてください。
勿論、この一文だけではなく、前後にあまりよくないマナー違反の人達を非難する文章がついているようなものでした。
それまでは、一理あるよね、と思いながら読んでいたんですが、この一文は、かなり多くの普通のファンにダイレクトに刺さる(悪い意味で)危険性があります。
これは決して星野源さんのファンや、音楽、芸能のファンの方だけではありません。
ありとあらゆるところに、
ファンなら感想等をちゃんと書け
という人達は存在します。
他人に感想を求めて、その人がちゃんとしたファンであるということを確認したい。
自分よりも熱量が下だと判断して、自分の優位性を見出したい。
大体がこんな理由です。
感想を言い合って、良いところを語り合いたいという人達は強要しません。
ファンと感想、熱量と感想
感想を試しに書いてみる
では、管理人が今ランダムで再生された「Crazy Crazy」の感想を手短に書いてみようと思います。
(いつか「Crazy Crazy」に関する記事を書く日が来たら、この感想文を流用する予定です)
「Crazy Crazy」は2014年6月11日に発売された星野源さん7枚目のシングル「Crazy Crazy /桜の森」に収録されています。
また、2015年12月2日に発売された4枚目のアルバム「YELLOW DANCER」にも収録されています。
二度の手術を経験し、復帰後初めてのリリース。
当初、この曲はバラード調で作ったようですが、その後テンポを上げたそうです。
「恋」も最初は今よりもゆったりしたテンポで作ったということは有名です。
私はこの「Crazy Crazy」という曲に少し違和感を覚えていて、一体なぜなんだろうとずっと不思議に思っていたのですが、星野源さんご自身が種明かしをされていました。
インストとボーカルで録音の速度が違い、片方の音源のピッチを上げて合わせた、ということをしたそうです。
どちらのピッチを上げたのか、忘れてしまって申し訳ない限りですが。
自分の違和感の原因が明らかになったように感じて、このエピソードを知った時、少し嬉しくなりました。
この曲は全体的に植木等さん、ハナ肇とクレイジーキャッツへのリスペクトが籠められています。
タイトルはそのものずばりですし、歌詞に一部メンバーの名前があり、白黒で撮影されたMVもクレイジーキャッツのイメージそのもの。
この曲を最後に、星野源さんの音楽事務所がカクバリズムからアミューズに変わるわけですが、丁度その間を取ったような曲調になっています。
テレビ番組や2015年8月に開催されたライブ「ひとりエッジ」でも弾き語り版が披露され、ここから当初のバラード調に近いものを感じ取ることができます。
それだけで曲から受ける雰囲気は違い、確かにCDバージョンの狂ったような明るさというよりも、鬱屈した凶器みたいなものを感じ取ることができます。
CDバージョンのアレンジにはギターが入っていないので、それだけでも異質な感じを受けますが、ギターで聴くと、この曲はやっぱりギターで作られたんだ、と感じられるのも面白いです。
そして、謎があるのもこの曲の特徴で、「Live Tour “YELLOW VOYAGE”」では、CDと違う音程で演奏されているんです。
この理由はどうも、ファンにとっては完全に謎の模様です。
星野源さんの曲は原曲キーだと演奏が難しいものが多いようなので、その辺りも加味してこのツアーではアレンジを変えたのかもしれません。
「Crazy Crazy」は、本当に不思議な曲。
でも、不思議な曲だからこそそこに星野源さんの曲作りに対する魅力がたくさんつまっているのではないかな、と感じました。
と、即興でも感想の質はともかく、このくらいは書くことはできます。
でも、これって向き不向きがあると思うんです。
(感想と紹介がごちゃ混ぜになってますが、これ以上の向上は難しいです。
頑張ります)
感想を書くのは大変
読書感想文を好きという人はほとんどいないと思う
この記事を書いているのは2018年8月、歴史的酷暑災害の夏休み真っ只中です。
そんな夏休みで小中高生を苦しめるのが宿題、その最たるものは読書感想文だと思います。
筆者は物凄く苦手で嫌いでした。
英語や数学のドリルを解く方がいくらも楽でした。
なぜなら、ドリルには正解があるけど、読書感想文には正解がない、それなのに制約はあるから嫌だったんです。
枚数の制限や「~と思います」の多用の禁止、その本を読んで自分にどう生かしていきたいか等々、今から読書感想文をきちんと書けと言われても、元々読書に面白味を感じられない体質の筆者にとって苦行以外の何物でもありません。
よくそんなものを確か小学校の3年生から受験でそれどころじゃない高校3年生まで10年間も毎年書かされていたのか本当に理解できません。
当時、星野源さんのエッセイがあったら、その感想文を書くのに、と思います。
筆者にとって共感ポイントがとても多いので、書きやすそうです。
でも、自分にぴったりな内容かつ、読書感想文が書きやすい本に出合うってとんでもない奇跡だと思うのです。
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もちろん、読書感想文を書くのが得意、好きという方もいるでしょう。
筆者はそういう人に対してはただただ、凄い、素晴らしいと尊敬の念を抱かずにはいられないのです。
http://realsound.jp/tech/2018/08/post-243124.html
読書を音楽や映像作品に置き換えて考えてみる
さて、読書感想文を音楽感想文、映像感想文、星野源感想文に置き換えてみます。
基本的に仕事にしなければ、制約の中これらを書かされることは、音楽の授業でクラシック等を学んだ時くらいです。
ただ、音楽の授業の感想文はあくまでも「音楽」に主体が置かれているので、あまり文章的な制約や中身を読書感想文のレベルでは求められません。
しかし、もし音楽の授業で聴いたクラシック、見たオペラの映像の感想文を読書感想文と同じような制約の中書けと言われたらどうでしょう。
筆者は少し吹奏楽をやっていた時期があるので、楽器の知識は一応少しはありますが、そういうのがない人にとっては地獄以外の何物でもありません。
でも、上に管理人が書いたように、ちょっとした制約のない感想文を書くのは、制約がありすぎる読書感想文よりは楽です。
あくまでも読書感想文と比較しての話です。
こういう制約のない感想文をするっと書ける人はそれなりにいます。
その中にこの程度の感想文ならファンとして書いてしかるべきと考えちゃう人がいるのが問題であり、厄介なのです。
表現をするということは例え感想であっても難しい
良いものは良い。
好きなものは好き。
楽しいものは楽しい。
嫌いなものは嫌い。
不味いものは不味い。
こう表現するのは簡単です。
誰にでもできます。
でも、それなりの制約でこれらをしっかりと表現するのはとても大変です。
例えTwitterの140文字であっても大変です。
筆者なんかは、ものによっては140文字でまとめきる能力がありません。
例えその人が、その対象をどんなに好きだとしても、一歩踏み込んだ感想を言ったり書いたりするのが大変、ということはよくあります。
他人に感想を強要する人に、私は言いたいです。
あなたは、触れた全曲、全出演作品、全著作の感想をそれなりにしっかり書くことができますか。
筆者には無理です。
感想というものを利用して人の上に立ったり人を蹴落としたりするのは変
以上のことから、
- 私はしっかりとした感想を書いているからちゃんとしたファンだ
- 私はしっかりとした感想を書いているから書いていない人よりもファンとして上だ
というようなことは、おかしいと筆者は感じています。
ファンに上も下もなく、まぁ、無理矢理順位をつけるとなると
お金を公式に大量に注ぎ込んだ人が勝ち
でしょうね。
星野源さんはそういう考えはない人だと思いますし、そういうお金の使い方をしている人は精神的にも余裕のある人が多いので、無理矢理勝手に定義してみました。
(プレミア価格は星野さんにお金が入るわけではないので、除外しました)
そのシステムを実際に取り入れたら炎上してしまったということがあったので、難しいんですよね。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1802/04/news025.html
尤も、ファンに優劣をつけるな、ということよりも「いくらお金を使っても、自分よりお金を1円でも多く払う人がひとりでもいれば、ランクから落ちてしまう」「金額の目安がわからない」ということが問題なのでは、と言われていました。
プロ野球等のスポーツのファンクラブはランク制を導入しているところがほとんどですが、しっかりと金額でランク分けがされているので、反感は一切ありません。
https://www.rakuteneagles.jp/teameagles/
https://www.baystars.co.jp/fanclub/2018/
http://www.so-net.ne.jp/antlers/fanclub/
鹿島アントラーズの最上ランクだと年間100万円!
星野源さんは感想を言えないファンの存在にも大きな関心を寄せている
では、肝心のご本人、星野源さんはどうでしょう。
星野源さんは、SNSをやっていません。
公式TwitterやFacebookのアカウントはお持ちですが、基本的にご本人がツイートすることはありません。
ツイートするとしてもこのように、仕事を絡めたものであり、プライベートや仕事の隙間をこちらに届けることはありません。
星野源です。胸がいっぱいで、なんと文字にしたらいいか、うまく言葉が浮かびません。この作品に携われたこと、津崎平匡でいられたことを心から誇りに思います。スタッフ・キャストの皆様、観てくださった皆様、そしてみくりさん。本当にありがとうございました。
津崎平匡より
#逃げ恥 pic.twitter.com/V3Xb0nIXep
— 星野源 official (@gen_senden) 2016年12月20日
星野源です。シングル『ドラえもん』ついに本日リリースされました。全て新録の4曲に、実験と真剣な遊びを詰め込みました。特典DVDも過去最高のくだらなさ。ぜひ手に取ってください!感想も待ってます。 #星野源のドラえもん pic.twitter.com/54Tby818VG
— 星野源 official (@gen_senden) 2018年2月28日
ツイートの冒頭が「星野源です」「源です」と書かれているものが基本的に星野源さんご本人からのツイートで、ドラマの最終回放送後や、CD、映像作品リリース時の宣伝くらいしかツイートしません。
一次的に素性を隠してTwitterをしていた時期があると公言していますが、それだけです。
ご自身がそのようにSNSをしない人なので、SNSをしないファンに思いをしっかり寄せているようです。
何も発信しない人にも届けたい、そういう人を大事にしたいとおっしゃっています。
だから、星野源さんご本人も、決して感想を無理に求めている訳ではないのです。
筆者はこのブログを書いて改めて思います。
好きの形はやはり人それぞれですし、感想は伝えられる人は伝えればいいし、伝えられなくても心の中に「好き」とか「良い」という気持ちがあれば十分ではないでしょうか。
それを他人に見せる必要はありません。
強要されるのもおかしい話です。
好きの熱意は人それぞれだし、好きの発信力と好きの熱量は比例しません。
感想なんて考えれば考えるほど出てこなくなりますし、制約されると書けなくなります。
良い感想、ポジティブな感想なら「とても良いです!」「大好きです!」これだけでも十分伝わるのです。
感情が振り切れると語彙力失っちゃいますしね!

結論
感想は書きたい人が書けば良いと思います。
なので、筆者は書きます。
感想は誰かに強要されて書くものではないし、書くことを強要するものではないと思います。
なので、筆者はそんなことはしません。
にわかと呼ばれる人たちのほとんどがマナーの守れている人ですし、古参と呼ばれる人にも著しいマナー違反をしている人もいます。

必ずしも感想の有無やその熱量は、ファンであることや、マナーが守れている人なのかどうかの指標にはならないのです。
ちなみに筆者はにわかという言葉はあまり好きではないです。
全員スタートラインは初心者だから、こういう言葉を使って貶めるのは好きではありません。
勿論、例外はいますけれど。
感想を求める熱心なファンにも、知識が浅い人はよくいるので、そういう人を見かけると残念な人と筆者は思ってしまうのでした。
【追記】星野源さんの楽曲に対する意図
2018年8月21日放送「星野源のオールナイトニッポン」で「アイデア」に関するお話がありました。
そのお話の冒頭、意図に関する内容がありました。
星野源さんは、ご自身の考えとして音楽に解説は要らないと思っているそうです。
自分の楽曲制作の意図と、聴き手の解釈に違いがあっても、それはそれで良い、と。
日本の音楽リテラシーは極端に偏っている。
そんなお話でした。
「アイデア」が配信された後から、私は様々な感想を目にしました。
すると、やはり長文の感想に委縮している方も見受けられました。
鋭い洞察力、観察力、感受性、感性を持っている方の鋭い考察、解釈もかなり早い段階から猛烈に拡散されていきました。
勿論、これはとても素晴らしいことで、筆者はそういうツイートを見る度に
「面白い!」
「ちょっとそれは違うでしょ!」
と、心の中で思っています。
でも、その圧倒的な分析力の前に、そういうものに気づかない方が落ち込んでいました。
「私にはそういう分析はできないし、何も気づけない」
って悲しそうにツイートしてたんです。
分析、みんながみんなする必要はありません。
最初から分析するために聴くのは勿体ない気がします。
人によっては、聴いた瞬間から自動的に分析が始まる人がいるんです。
でも、そういう方ばかりではないし、影響されて楽しめなくなったら、悲しいです。
良いものを良いと思い、それを短くても言葉にしたいのであれば、しましょう、積極的に。
分析とか考察とかは、したい人にやらせておけば良いのです。
そこで引け目を感じることもないし、誰かに咎められる筋合いもありません。
星野源さんご自身が、自分の意図と違う受け取り方をされても良い、SNS等に出てこないような人の好きという気持ちを大切にしているのですから、言葉の多い少ない、キーワードの多い少ないということを、過剰に気にすることはないと筆者は考えます。
私が見ていないところで、感想の要求ともとれるような流れがあるのでしょうか。
みんなで「アイデア」をそれぞれの方法でばらばらに楽しみましょう。